中国・三峡ダムを訪ねる

 青島海洋大学の故王先生の中国巡検いらい中国が好きになってたびたび訪ねていますが、この夏、マスコミでもたびたび取り上げられている三峡ダムを一般のツアーで訪ねる機会がありましたので報告します。
三峡ダムとは
  中国最大の河川「長江」(揚子江は最下流部の名称)はチベット高原を源流とし上海で東シナ海に注ぐ、その距離が世界第三位の河川で、途中に重慶、武漢、南京、上海と500万人から3000万人の大都市を抱えています。その中流部の宜昌に治水対策と電力供給を目的に建設されている世界最大のダムが三峡ダムです。ダム堰堤の高さ185m、幅2309m、貯水量は393億m3。ダム湖の長さは四川省重慶までの約600kmで、これは東京〜姫路間の距離です。日本最大級の奥只見ダムの約65倍にあたり、東京都区部に匹敵する632km2が水没することになります。簡単にいうと世界最大のプロジェクトでしょう。
  20世紀のはじめから計画はありましたが、92年の全国人民代表大会(全人代)で、建設案が採決されました。しかし、大会出席者の約1/3が反対または棄権に票を投じるという、当時の全人代としては、異例な決定でした。
 このダムの問題点としては次のようなことがあげられています。全長 600 キロに及ぶダムの周辺では、200 万人が立ち退きを強いられること。多くの文化遺産をが破壊されること。ダムそのものの堆砂の問題。ダム下流の土砂や有機物の流れを止めることで、湿地帯が破壊されることや、海岸地域が浸食され、ひいては、東シナ海の漁業を圧迫することなどの大規模な自然破壊。
 しかし、決定に従い95年12月に本格着工となり、長江をせき止める第1期工事は完成し、現在ダム本体の工事が2009年完成を目指して進められています。
実際に訪れて
 今回のツアーは重慶で船に乗り2泊3日で三峡を下りながら、文化財のあるところで下船観光し、最後に三峡ダムの工事現場を見学するものです。
 重慶から船に乗ります。ここでも長江は川幅が1000m弱で現在でも1000トン級の船がさかのぼってきます。ダムの完成後は1万トン級の船が航行可能だとのことです。
 1日目に閻魔大王が祭られている寺院群からなる鬼城(豊都)を観光しました。この町も水没するそうで数万人のための新しい集合住宅群が対岸の高台に作られていました。中国のガイドの話では周辺に住む斜面にへばりつくような住居(この地域は自給自足に近く貧しい地域だそうです)の老人は「移らざるえないだろうが新しい住居では今飼っている牛はどうすればよいのか」と嘆いているそうです。
 翌日はまず白帝城を観光しました。ここは三国志の劉備の終焉の地で完成後は島になるそうです。ここ以外にも長江流域は三国志の時代の文化財が多く、水没してしまう中で重要なものは移築か予定されているようです。
 このあと三峡に入ります(上の写真は三峡のひとつ「くとう峡」の入り口)。三峡とは長江中流域の川幅が100mから数100mにせばまり、両岸は数100mから1000mの岸壁がずいしょに現れる長さが100km強の峡谷で、大きく3つの部分に分けられることからこの名称がつきました。岩石は石灰岩からなり周囲は2000m級のピークが望まれます。日本でこれに似た風景はというと水量はぜんぜん違いますが黒部川の「下の廊下」がそれかと思います。ここでは蜀の時代の垂直の岸壁に穴をうがち丸太を差し込んで板をしいた桟道跡などが見られまが、これも完成後は水没します。
 2日目の夜は宜昌に停泊し、翌日朝、バスでダムに向かいました。ここは何もないところでしたがダム建設のため町が出来たそうです。ダム建設に従事しているのは多くは解放軍です。ダムに隣接する高台でダムを見たときの印象はとにかくでかいというものでした(左の写真は工事中の三峡ダム)。2000mほどの大堰堤と北には1万トン級の船を通すための閘門式の水路。何も知らずにこれをみると人類のパワーのものすごさをただただ感心するような気がします。ここは、地形的には三峡が終わり平野に変わるところ、地質的にはこの周辺のみ頑丈な花こう岩からなります。また空からの爆撃に対抗するためミサイル基地もつくられているとのことです。
 2泊3日の見学なのでダム建設が正しいのか間違っているのかの結論は出しませんが、多くの文化財と約200万人の住居を水没させるものですからぜひとも成功してもらいたいものです。また、治水問題としてはダムのみに頼ることなく、周囲の自然環境の保全もあわせての総合的な環境管理の必要性を感じました。

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